「なあ弥勒。旅の空はどうじゃったかな?」



 夢心の和尚はいつもそう訊いてきて、俺はいつもこう答えた。





 「さあ。分かりません、夢心さま。」




















         
 『The beautiful sky.』



















 一人の旅は、いつもぎりぎり。
 少し油断をすればすぐに喰われるし、気を許せば風が苦しくて息が出来ない。









 独りになって初めて覚えた酒も女も博打も盗みも詐欺も恐喝も、数え上げればキリがない“悪徳”のぜんぶ、何度やっても一つ一つこなすのに必死にならなければいけなかった。余裕なんて生まれやしない。一日を生きることがこれだけ大変だと、今までどうして知りえただろうか。

 なのにたまに寄ってみると夢心はいつも訊いてきた。





「空はどうだった?」





 馬鹿じゃねェのかこのクソ爺こっちは生きるのに精一杯なんだよそんなもん気にかけてる暇なんぞあるか。そう言いたいのをぐっとこらえ、いつも俺は正直に答えた。


「さあ。分かりません、夢心さま。見てきませんでした」


 すると夢心は少しがっかりしたように肩をすくめて、そしてつぶやく。
 「そうか。次には見えるようになると良いな。」




 そして、俺は聞かれるのも鬱陶しいからなるべく今度見ようとその時は思う。























 けれど忘れる。毎日必死、毎日崖っぷち、精神の限界に喘ぎ無意識と意識の狭間で彷徨って、一番遠いのは現実だった。そして押し迫ってくるのも現実だ。







 けれど何より遠い、どこかで見たような優しい景色。

 ああ、俺は何処に置いてきただろう。































 ある時、羽を折った鳥を見つけた。小さな小さな森の小鳥。そのまま放っておけば野垂れ死にだったろうが、なんとはなしに拾い上げ、介抱してやった。

 その間中、鳥は弥勒を見ずにその向こうの何かを見ていた。ずっとずっと、何かを見ていた。
 弥勒には、何を見ているのかは解らなかった。
















 数日して、鳥は巻かれた包帯を邪魔だ・とでも言いたげに突っつき始めた。ほどいてやると途端にばさっと羽ばたき、飛び去った。






 飛んだ先は太陽の輝く空の真ん中。



























 青かった。とてもとても青くて、広い空。
 懐かしいような、だけど初めて見るその色。



















 「…あー……」



その青さはまるで桃源郷の色のようで、弥勒には前から見えていたはずなのにその実ほんとうに知らなかったような。



























 鳥が、くるりと軽く弧を描いた。その羽ばたく翼と青い空の眩しさを弥勒に見せようとするかのように。





 「…きれい、だ……」







 弥勒は、放心したかのように呟いた。


 のどかなのどかな、春の日だった。





































 「弥勒、旅の空はどうじゃった?」
例の如く夢心が訊いてきた。

 「とてもとても広くて、青い空でした。夢心さま。」
 よどみなく言い切った弥勒を暫し見つめた後、夢心は満足げに頷いた。それきり、空のことは訊かなくなった。


































 だが弥勒は、やっぱり時々空を忘れた。


 その忘れる「時々」の合間の、もっと短い「時々」に、今まで幾つの青さを見落としてきたんだろう・とふと思ったりもしたが、それもやはりほんの少しの、一時の「気の迷い」。






 やっぱり、必死でなければ死にそうに苦しくて。

 死なないほどに平和な環境を見つけても、そこにも必ず風は在り、そして平和であるという事実自体が死にたくなるような苦痛を伴って。

 そうして、その自分が感じているはずの苦痛にすら気付かずに、ただ一心に生きることを考えた。
















 けれどある日、彼は、ひとりの少女と出逢った。






















 彼女は弥勒とは正反対の少女だった。
 空ばかり、太陽ばかり見ていて、突然崩れた足元に戸惑っていた。



 元より生まれたところが違うのだよと言えばそれまでかも知れないけれど、そんなことでは埋めきれない差があった。


 そしてその後も彼女は弥勒とは違う行動を取った。









 彼女は、空を見上げることをやめなかったのだ。











 信じて、見上げていた空に傷つけられても、彼女はその空を愛していたから。









 そして彼女は輝く。そう、彼女の好きな空と同じように、いや、弥勒にとってはそれよりずっと。





























 弥勒にとって彼女は太陽だった。

 初めて“見た”空の色と同じ、とても広く美しいものであった。





 もう弥勒が太陽を空を見失うことはないだろう。
 見上げなくても隣にいてくれるから。

 見上げるのを忘れた時には、空の方から弥勒の顔を半強制的にでもそちらに向けさせ、そして微笑んでくれるのだ。




















 いつか見た青い空。




 その空は、いつでも、近くにある。




 何より、誰より近い、きれいな空だ。














                            --------------End.
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 これも以前は「昨日 今日 明日 そして  いつか。」に並んで好きでした。ていうか、一番好きでした。。 でも今読み返してみると…「昨日今日~」の方が良かった、かな〜?(汗)

 弥勒と夢心のくだりとテーマは好きなんですが。珊瑚を無理矢理絡ませたのは失敗ですね…(笑(腐っても弥珊ファン)) 好い加減このクセ改めたほうがいいな。


 背景セレクトは実はサイト内でも多分一番気に入ってます。色も図案もこの話にぴったりだと今も思っています(笑) よってこれは変更なし!スタイルシートで固定しただけで、元のままです。